見栄え第一主義の世の中でデブは生き残れるのか?

生まれ持った運なのか努力で何とかなるものなのか?
今の世の中で生き残るには…

超格差社会

昔の格差
現代の格差

昔は格差といっても現在ほどではなかった。現代社会は上図の白い線を見ればわかるだろうが昔と比べて同レベルが少ない。一般的に人は同レベルと交流をもつケースが多く同レベルが少ないということは仲間が少ないということだ。昔は仲間が多かった。

現代社会では「ひとり」がよくテーマになることが頷ける。


格差の世の中

現代社会は何をするにも見た目が大事な世の中だ。
恋愛、結婚、就職、昇進など数え上げればキリがない。問題は個人の努力で何とか解決できることと、手のつけようがない問題が存在する。

あるインフルエンサーが言っていた。体系がスマートで頭髪が問題なければ、それだけで勝ち組だと。
今回は体重が規定以上(要はデブ)の人たちの想像以上の不待遇などを取り上げてみた。

世間が感じるデブの特徴

肥満
自己管理ができていない

筆者が生まれた当初はこれほどまでに差別を受けた記憶はない。
数年前にアメリカが発表したデブは自己管理ができないから当然、仕事にも影響がでて重要なポストは与えれないといって話題になったことを覚えている。

筆者の言い分として本人も若いころは体系も普通で特に感じることはなかったが25年前に禁煙をしたことにより体重が何と25kも増えてしまった。色々と努力はしてみたがリバウンドの繰り返し。
結局、現在では身長168㎝体重93kの巨漢になってしまった。

不思議なことにどんなに努力してもリバウンドの繰り返し、友人にいくら食べても太らない輩がいて羨ましくて仕方がない。

最近、気になること

特に日本の現代社会ではすべてのことが、見た目によって決定される。
能力が無いのに見た目で判断され重要ポストを獲得する人、能力があるのに見た目判断で出世できない人などをたくさん見てきた。

国によってはデブが重宝される国があるという。しかしながら日本、いや先進7か国ではデブは重宝されないと思う。

デブには2種類ある
  1. 本当に怠け者でいつも動かず食べて寝てばかりいる人
  2. 努力はするが一向にスリムになれない。でも能力は高く様々な事案を処理していく人

前者は現代社会に携わる人たちが抱くイメージだ。そして後者はあまり目立たず脚光を浴びない。
就職の面接とか、お見合いなどが典型的だと思う。
結婚については個人的見解からイケメン美女はお見合い結婚がベスト、デブは情に絆して恋愛結婚を目指すしかない。

現代社会において

いろいろ述べたが、それでも現代社会が評価するようにデブは動きが悪い人が多い。
例えばマッサージ師においてもデブはおおざっぱでヘタ、スリムなマッサージ師はきめ細かい手ほどきで受けていても気持ちがよい。会社においても、あるプロジェクトを成就するのに見た目良い人には部下も協力的で大きな成果をあげる傾向がある。逆に見た目悪い人が指揮官を担うと部下から不平、不満が出て大きな成果を出せない傾向がある。

基本的には見た目良い人は内面もよく、そうではない人は内面も評価されないのが現代社会の特徴である。

見た目が劣る人、それではお手上げになってしまう。それなら海外に脱出して新天地を目指すか?
多少体重オーバーでも歓迎され受け入れてくれる国はある。

そんな世の中で最近、面白い経営者と対談した。彼とは長い付き合いの中であることを発見した。

面白い思考

その経営者は優秀で実績をのばしている。その考え方に驚いた。

  1. その経営者はイケメンである
  2. 夜の世界(歓楽街等)へ一緒によく行ったものだがホステスを指名する際に絶対、美女は選ばない。私たちから見て絶対ありえない女性を指名したりする。
  3. 人を採用する際、面接で前職の肩書が課長で2人候補者がいた場合、前職の会社規模が同じと仮定するならばスマートなタイプより見栄えが今一の候補者を採用するという。

以上のような話をもとに彼(社長)は美女と付き合うと振り回されてばかり、疲れるという。
逆に見栄えは冴えなくても献身的でよく尽くしてくれるという。
要は自分が楽したいのでそういった選択になるのだという。

人の採用に関しても同じ課長ならばイケメンタイプはそれほど苦労しなくても課長というポジション。
見栄え今一の人が課長ということは相当、努力してそのポジションについていると判断し採用したらそれなりの成果をだすだろうという読みである。

同じようなタイプの社長を他にも知っているが正に同じことを言っている。
但し、これはイケメン社長だからできる手腕だと思うところが多い。

やはり、いつの時代もイケメン美女は人を束ねてまとめることが上手なように感じるのだ。

今のご時世、本当に格差を感じる。お金だけの格差だけではなく「見栄え格差」も相当現代社会に浸透しているように思われる。